top of page
検索
  • 執筆者の写真Doctor Tab@cho

SF『点が集う島』Beyond Anthropocene.

更新日:2020年8月23日

その日は奇妙な日だった。

 湾岸地域の夜は立体化した高速道路と高層マンション群が織りなす、世界でも有数の先進都市の様相であるが、その日は深い霧に覆われていた。それは、丁度この場所の本来の風景で、江戸前の東京湾の浅瀬に立ち込める霧が醸し出す独特な「白い闇」が、時空を超えて未来都市を表出させた様にさえ見えた。日頃であれば茶に黄に紫に桃色に、様々な眩い採光を放つビル群の灯りも、高速道路を照らす街灯も、本来の夜に飲み込まれる為に霧を媒介としている様な、そんな錯覚に陥る程、心もとないぼうっと霞んだ無数の人魂の様に揺らめいていた。

 夜が霧を纏ったことで本来の闇を背後に取り戻す。

 都市の夜は無音を抱えることは無い。耳を澄ませば無数の機械の振動や畝りが折り重なり、ザラザラとした肌触りで満たされる。それがその夜は霧の水分で吸収されるのか?あるいはフィルターがかかるのか?モワッとした、丁度深夜に小さな音で流すラジオの様に籠った畝りに変わっていた。

 ホバークラフト・スクーター。通称エア・バイクには車輪がついていない。水面も路上も走れるこのスクータが湾岸地域の立体的な都市を自由に走行するのには最適である。地面から3メートルの浮上力を兼ね備えたこのバイクは「飛ぶ」まではいかないが「越えて進む」には丁度良い程度の浮遊領域の独自性を兼ね備えていた。深夜に交通至便の悪い工事箇所を移動する警備員たちは、皆、このホバークラフト・スクーターを使っている。そうした不便な場所で仕事が早めに切り上がっても、帰宅のための公共交通機関が動き出すのには3~4時間は始発待ちをしなければならなくなる、それを避ける為に深夜の交通誘導員は皆、このバイクで現場へと向かうからだ。タケルもそうした例に漏れることなくこのバイクを使っていた。

 この日タケルは埠頭の先端まで道路補修の工事に行かねばならず、よくあることだがそうした交通至便の悪い現場に限って早く終わることがあるが、このバイクなら首都高を使わずに最速で移動が可能だ。その日は路面のカッター入れで終わってしまった現場を後にしたタケルは、エア・バイクを飛ばし、なんの躊躇もなく河川の上を走行していく。首都高の下にはほとんどの場合、旧市街の水路や堀、又は細かな河が流れているのだ。河はたち込めた霧で水面が白く覆われ、さながら雲の上を走る様だ。タケルはその雲上の横滑りな感触に心地よさを感じていた。

 21時から開始されるメンテナンス・タイムの導入以降、東京23区以内は、バス、タクシー、物流、工事車両以外の無許可車両は通行が禁止されている。そうした経緯もあってホバークラフト・スクーターの様な柔軟な機動性を兼ね備えた車両の河川上の様な特殊環境の走行が、許可車両には認められていた。高架上に蜘蛛の巣の様に張り巡らされた主要道路の下のやや太い空中水路では、無許可のホバークラフト・スクーターを追う警察のホバークラフト・スクーターがけたたましいエレクトリック・サイレンを撒き散らしながら通過していく、タケルはそうした喧騒を避けて、さらに下の陸上水路を走行していた。

 陸上水路は高速高架の下の何層にも無数に張り巡らされた一般車両高架、歩行高架、空中水路のさらに下、最上部からは100メートル下を流れる最古の水路で、幅は狭く直接海洋に繋がる河川であった。ここまで降りるともうほぼ人の歩行できる箇所は無く、また幅の狭さから工事車両もいない。上層で視界を遮る様に満遍なく立ち込める霧も、地上水路(最下層の水路)では水面を這う様に覆っていて、視界が効くのである。ここまで降りてくるとホバー車両用の道路標識もなければ信号も街灯もない。ナビゲーションにすら水路は表示されないのだ。アンダーグラウンド・ロードと呼ばれるこうした場所を土地勘を頼りに走行するのがタケルの日課だった。

 特別急いで帰宅する理由も無いタケルには、朝までの時間は有り余るほどあった。地上水路の脇に広がる地上は無数の高架柱が林立している。以前は剥き出しだった基礎コンクリートの表面をいつの間にか土が堆積し、手入れする者もいない地表面には日の光をあまり必要としないシダ類や苔類が生い茂り独特な景観を生み出していた。上層の人の手による緑地帯とは明らかに様相の異なるその光景は、さながら原生の太古の緑地を連想させる不思議な生命力に満ちていた。実際、この植物群は人の管理の隙を見出してこうした下層に自由の根を張り巡らしていたのである。タケルはこの光景が大好きだった。エアダクトを流れる冷気による路上温度管理はここには及ばない。さながら熱帯の様な湿度に晒されて蒸し暑い地表面は、この土地の本来の季節感を保っていた。

 水路は所々でエア・バイクでは通り抜けられない高さのトンネルになっていて、そうした箇所ではタケルはバイクを浮遊させ一つ上の層の公道に出てトンネルをかわす、日頃であれば躊躇うことなくバイクを浮遊させる状況であったが、その日はふとバイクを停止させた。

 声が聞こえるのである。

 その声はトンネルの奥から聞こえてくる。タケルは耳を澄ませた。

「女の声だ」タケルは呟いた。

「なんだろう?あり得ない。気になるな」

その声は楽しげにトンネルに響き渡る複数の女性の声だった。

 タケルは水泳には自信があった。というか、『そういう身体』であった。

「ここで確かめないと、寝れなくなるな?」タケルは微笑んだ。

 タケルは慎重にエア・バイクを河川脇の柱の角に止めると警備服を脱ぎ始めた。パンツ1つになるとポケットにスマートフォンを入れた。スマートフォンは既に100%の完全防水が常識になっていた。タケルはゆっくり河に入って行った。

 最下層の地上水路の水は思い他、澄んでいた。

 政府は数十年前に最下層地域の悪臭が上層に至らぬために汚染対策をしていた。ナノレベルのフィルターで下層域に流れ落ちるる全ての水の動線上に高度な浄水濾過器を設置し、汚染物質は固形化し定期的に回収するシステムを構築していた。おそらくはその成果であろう、海に繋がる最下層の地上水路は予想以上の浄化を獲得していたのである。

「凄いな?魚が泳いでいる!」

「少し塩味がするな?淡水と海水が混ざっているのかな?そんなには冷たくない」

 タケルは前方に明るさを感じていたので、それほど恐れはなく、かつ、上流から下流への流れは思いの外、遊泳を快適にしていた。

「2キロぐらいなら逆流を泳げるな?またここに戻れる程度まで泳ごう」

 自身の遊泳力を計りながらタケルはトンネルを進んだ。

 ほどなく数百メートル程であろうか?前方の明るさが迫り、視界はいきなり開けた。

「すげえ」

 タケルは感嘆の声を上げた。

 池というか水面下の壁が見える程度には小さいが、壁が見えるほどに澄んだ開けた場所に出たのである。だがタケルが驚いたのはそれ以上に、そこに広がる光景だった。

 水面上に何かしらの強い灯りがあるのか?澄んだ水の中は、差し込む光でクッキリと見える。多くの魚たちがいて、生い茂る海藻類、なんと江戸湾珊瑚らしき物まで見える。その光景は水族館さながらである。

 海が近いとは言えこんな光景が大都市の最下層の地上水路の一部に出来ているとはタケルは思いもしていなかったのだ。

「地下雨水水槽だな?きっと、それにしても大きいし、なんだか不思議だ。あれはアオギスだ!うわ、シラウオやサワラもいる!」

タケルはその奇妙な美しさに見とれていた。

それらの魚はかつては江戸前と呼ばれ温暖な淡水と海水の合流域に生息していたが海洋汚染で内湾からは姿を消したはずだった。それが目の前を泳いでいる。ハマグリが砂から顔をだし、湖底の岩場らしき物陰には、まだ小ぶりだが妙に赤い棘の生えたウニの様なものまでいる「え?赤ウニ?らしきかな?信じられない!案外水深があるんだな?」壁面には何故かエアダクトがあってボコボコと空気泡を撒き散らしている、それが水族館の水槽の様に水中の酸素を保っているのかもしれない。

 タケルは暫く見とれていたが女の声のことを思い出し、水面上に登って行った。

 水槽全体は円柱形になっていて200メートルほど上空でドーム状になっている。円形の天井の真ん中は穴になっていて、ちょうど小さな太陽の様にそこから強い光が水槽内部を照らしている。こんな深夜にあんな明るい場所が地上にあるだろうか?

「あの外はディズニーランドか何かかな?一晩中昼間の様な明るさの場所は、俺たちが日頃入れる場所じゃあ無いよな」

タケルは水上を見回した。水面は水路同様に張り付いた様に霧が立ち込めていてまるで雲海の様相である。ちょうど円形の池の真ん中には小さな島が顔を出していて、まるで雲海から頂きを出す山の様に見える。空中の薄い霧の粒子が塵状に天井の光を受けてスポットライトの様に小さな島を照らしている。そこに胸をはだけた女たちが5~6人いるのだ。ゴーギャンの描くタヒチさながらの光景だが、もっとアジア的な雰囲気だ、かつてモノクロの観光写真が大量に輸出された頃出回った、日本のイメージの一つ、伊勢志摩の海女が似つかわしい表現かもしれない。

「なんか、絵みたいだ。」タケルは思った。 水面にいきなり現れたタケルに一瞬女たちは「ぎゃっ」と驚きの声をあげたがタケルの姿を確かめると、直ぐに穏やかな笑顔にかわっていった。

「あら、驚いた。凄いわね」

「なかなかハンサムよね?」

「人間では無いわね?私たちと同じクローンかしら」

「そうでしょうね?そうでなきゃこんな所にいきなり現れないわね?」

 放射線汚染に海洋が完全に侵されてから既に200年以上の月日が流れていた。

それでも放射線耐性遺伝子を基調として「作られた」クローン以外がこうして最下層水路や海洋の汚染に生身で耐えれる事はあり得なかったのである。

 彼らは放射線耐性遺伝子を持つクローンとモンゴロイドの融和人間の第3世代であった。

遺伝子改良を受けた彼らの身体はつまりは奇形であったが。第2世代とは少し趣が変わっていた。

 2061年頃までには激変する日本列島の環境変化に適応できないモンゴロイドは生体維持が困難となり言わば「旧人類」と呼ばれるそれらのホモ・サピエンスの人々の多くは身体を培養素材とメカニックによる言わばサイボーグ化の道を選択していた。

 また激減する日本列島の人口においてライフラインを維持するための末端労働力の総数を維持するために、日本政府は「生体種族法」を制定し放射性耐性の強い「種内淘汰後の耐性遺伝子」を培養し汚染環境で生存出来る「労働種族」を人工的に生産し「クローン(人工ホモ・サピエンス)」とし従来の天然ホモ・サピエンスとの間に明確な主権差異を憲法で法令化したのである。

 クローン法の成立である。末端労働者としてのクローンと旧人類は完全に2階層に隔てられ、簡単言えば国家主権はクローンには与えられなかった。

 天然種はその脳(つまりサイボーグ)」も含め「オリジナル」と称され国家における主権が与えられ、主権を与えられない「ロボットとクローン」のインダストリアル(製造物)との間に明確な居住域から異なる二階層構造を確立することで「人類の保管」を目指したのである。

「オリジナル」は市民と呼ばれた。だが第3世代になると労働クローンにも一定の「種としての権利」が認められる様になったのである。それは第二世代の労働クローンの功績によるものだろう。

 かつて汚染された地上都市を逃れてオリジナルたちは、東京湾海上一千メートルに浮かぶ「オリジナルだけが暮らす新東京シティ」だけで居住していた。だが第二世代のクローンの労働的成果により、地上の汚染は100年をかけて大幅に軽減された。放射線に耐性の強いクローンたちが廃炉原発の全てを石棺に納め、さらに汚染の拡散を抑え込むために幾重にも折り重なる「防壁」を地中に作ることで都市部以外の地域は汚染軽減に成功したのである。「人であれば手がつけられないあらゆる場所」でこうしたクローン労働者たちは重機に搭載されたAIと共同で、不可能とさえ言われていた、日本列島の放射線汚染の軽減に成功した。上空都市に逃れた人類(オリジナル)は、再び地上に帰還することが可能になった。人はその成果を認めたのである。

 だが、海洋の汚染はもっと深刻だった。その汚染の解消はもっとスケールの大きな思慮と年月を必要としていた。

 海女の一人が認証番号を示す。

「私たちはクローン法09-0388720労働階層erb-opi032390種のクローンなの」

 タケルが認証に応える。

「僕はクローン法09-0388721労働階層erb-opi030034種のクローンだ、君たちとは近い生態のクローンだね?」

「そうね?だからこうして接触することが可能だったのね?」

「その番号は土木法092229096に従事する労働クローンだね?」

「そう、通称海洋土木だわ」

「僕は道路交通法に基づく交通保安のクローンだ」

「警備員さんでしょ」

「そう、通称ガードマンだね」

「警備員のお兄さん、明日は非番なの?私たちの居住区に遊びにこない?」

海女の一人はそう言うと向き直って豊満な胸を少し揺らせて見せた。

「海洋土木のクローンの居住区かあ、興味あるな。」タケルはその海女を見つめた。

「私はムスビ、あなたは?」

「タケルだ」

 「もうわかってると思うけど、この水槽は私たちが設計し男たちと工事をし、その管理と維持を行ってるの。だからこうして見て回ってるんだけど、むしろここは豊富な海藻、ハマグリ、ウニなんかも取れるのね?それでこうしたスタイル(海女の身形)。むしろそっちが今ではメインなのかもね?」ムスビは笑う。

「でもなんかそれだけには思えないな?なんか独特な思索と言うか、伝統文化の匂いみたいな物を僕は感じるな」タケルはムスビの身体を見つめる。ムスビは恥ずかしさは微塵も見せずに、むしろ自信に満ち溢れた表情で再び裸身の胸を揺らせた。

「考古学者ね?クローンは気質的に学者さんが多いわよね?人生を楽しんでる」

「そうだね人間のような私欲がプログラム上制限されてるから、むしろ思考の楽しみを僕たちは優先する」

「学問だけじゃ無いわよね?」ムスビの眼差しが妖艶な色香を含む。

「君たちの居住区に遊びに行こう」

「そうね?私の足に掴まって」

そう言うと女たちは水中ゴーグルを装着しシュノーケルを咥えると、分厚いビーチボードにハンドルが付いたような形状の水中移動用の水粒子ジェットボードで、なれた身のかわし方で、水路口へと次々と入っていく。最後にムスビとタケルが水路口に消えた。

 後には細かな泡だけが細かく残存し、ゆっくりと水上に登っていく、シラウオが口をパクパクさせながらその泡を食べる。誰も聞くことはない静けさが「音」となって水槽の中に木霊する。

 海女たちとタケルは殆どまばたく間もなく水路を抜けて海洋に飛び出した。

時々酸素補給でシュノーケルを水上にのぞかせる以外は時速100キロはあろうかと思われる速度で水中を進んでいく、一列に綺麗に並び尾をなびかせて進むその姿は、遠目に見れば水龍の様であるのかもしれない。

 江戸内湾はタケルが想像していたよりも美しかった。月日の流れは半減期の膨大な年月を必要とする放射線汚染以外はまるで「すべてが生命の蘇生のために用意された舞台なのでは無いか?」という想いをタケルに去来させるほど鮮やかだった。その想いには何故か、儚くも切ない感触が含まれていた。

  2

 親海女島と子海女島と呼ばれる2つの島は江戸外湾に位置する小さな島であるが、ちょうど200年ほど前に驚愕すべき事実が報告された。リアス式の噴火溶岩が日本列島の景観の一般的な光景であるが、この島には溶岩溜まりの痕跡がない。他の島とやや異なる景観を持ち、島全体が遠浅の浅瀬と砂浜に囲まれている。200年前の報告とはこの島は太古から現在まで僅かに生息が確認されている江戸湾珊瑚のこの近辺では唯一の珊瑚礁なのではないか?という報告である。その歴史は古く、カルデラ爆発による日本列島形成以前と考えられている。

 海中には円形の珊瑚礁の痕跡が見られ、その中心は深い穴の様な形状になっている。だが現在ではこの海域と親海女島は海上封鎖され立ち入りが禁じられている。ここは日本近海で最も放射線汚染濃度の高い地域であったからである。親海女島は200年前に首都供給電力の中心的な核融合発電の原子力発電所が建てられ、200年前に構造上の破綻から起きた同時多発原発臨界事故の中心的な原子炉があったからだ。事故後200年の現在でも親海女島の原子炉の地中では融解下降いわゆるメルトスルーを継続していると言われている。

 200年前を遡ること250年前、沸騰水炉発電の時代が東北地方の地震で起きた軽水炉爆発事故以降撤退の様相を見せた一方で原子力発電炉の開発は核燃料サイクル原発にシフトされた。高速増殖炉の頓挫以降、決定的な核燃発電の理論上の「リサイクル中心炉」は存在していなかったが、中華人民共和国とフランス共和国の原子力公社が共同開発により核融合発電を実現させたのである。その発電効率は飛躍的で、人類は遂に永久機関を手に入れたかの如く嬉々として急速に融合発電炉を増産したのである。

 そしてあの事故が起きた。

太平洋はあらゆる海域で高濃度汚染に晒され多くの生物が死滅した。

殊に広大な海洋に囲まれた小さな島国である日本列島は「高濃度汚染の中に浮かぶ島」と成り果てたのである。

 人類は核融合を国際法で禁止した。反対する国家など無かった。

だがそれは後の祭りという憂鬱が世界を覆い尽くした、それほどの危機的状況を迎えて尚、人類は生き延びた。皮肉にも原子力を生み出した科学文明は人類を滅ぼさぬ程度にも発達していたのである。そして世界を覆い尽くした憂鬱は意外な結論を導き出した。憂鬱により生み出された様々な世界抗争の末、人々は終末思想の根源であり西洋文明形成の基礎にある思想を増悪したのである。ニカイア派キリスト教が弾圧され、その布教活動の一切が国際社会で禁止された。バチカンは永久封鎖されたのである。終末を「迎えれない人類」は僅かな光明を「生き延びた事実」から見出そうとしていた。

 クローンは人類の身体が実現不可能な凡ゆる局面において肉体労働に従事する人工の「奴隷」としてうみだされた。世界中における高濃度放射線の拡大は人類の種内淘汰を引き起こし100万人に1人という完全な高濃度放射線への耐性を持つ遺伝子が発見された。その遺伝子は特殊なもので、付加的なバイオテクノロジーでは如何様にしても人類そのものの多種身体を補完することはでき無いキワモノであった。人類はその遺伝子を元に様々な操作を加えてクローンを作り出したのである。その耐久性はプログラムされ、寿命も明確にプログラムされ、彼らはには「死を恐れる」という概念そのものが与えられなかった。それについてはAIも同様であった。クローンとAIは人類の試行錯誤の末に「物であること」を求められたのである。それが、人類が自身への考察の末に辿りついた「人類に叛逆し無い知性」であったからだ。

 海洋土木のクローンの居住区は海上にあった。タケルたちはその「島」に海中から接近していった。タケルの予想を超えて美しい生物環境を取り戻していた江戸湾の外湾付近にその「海洋土木のクローンの居住区」は存在していた。海中から見る景観では無数のテトラポットの膨大な累積が不思議な光景を生み出していた。その島は海中一面をテトラポットに埋め尽くされた人工島に見えたがその中心には天然の島が残存していた。

彼らの居住区は子海女島にあったのである。

 そこには驚くべき光景が広がっていた。何百年も昔の海村さながらの光景だった。縦穴に深掘りされた基礎の上には太い木製の柱と梁が組まれ巧みに縄張りされた屋根の木枠の上には細かな石レンガ(材質はコンクリートだろうか?)が組まれ海洋の強い風を抑え込むための工夫が凝らされた家屋が並んでいた。所々苔むしたり草が生えたりしているが手入れはいきとどいている。島の中央にある丘の上には一際目につく朱色の鳥居が見える。島の木々と補色対比でその朱は色鮮やかに宮社の存在を示すかの様である。小さな島の唯一の河川のある谷間に添って棚田が山頂近くまで広がっている。タケルが写真でしか見たことの無いようなコンパクトは島の里山がそこに広がっていた。驚愕の光景はそればかりではなかった。島を囲むように埋め立てられたテトラポットは厳密には巨大な円形に組まれていて、島はその円の端にあるドーナッツ状のテトラポットの島の内側には驚くべきことに広大な珊瑚が広がっていたのである。

「この島で最もハイテクノロジーな人工物とは私たちクローンそのものなの」ムスビがタケルに囁いた。「他は全て、かつて人類が営んだ生活様式を私たちがこの手で再現したのよ?」

「それは何を手掛かりに?」タケルは尋ねた。

 ムスビが鳥居を指差して応えた。

「私たちが政府にこの島への居住が許されたとき、あれは廃墟となっていて伸び放題に放置された里山の木々に埋れていたわ」

 葦笛と和太鼓が絶妙なお囃子を島に響かせている。山頂まで回廊のように張り巡らされた舞台の上を様々な面をした踊り手たちが踊る。回廊の様な舞台は篝火で照らされていて、その外でもたくさんの男たちと女たちがいくつもの車座となって酒宴を繰り広げていた。その宴には海側から巨大なクレーンが頭の先を伸ばしてまるで巨大な海洋の異生物が宴に参加している様に見える。タケルは陽気で浅黒く日焼けした島の男たちの宴に加わっていた。

「AIというか源次だ。人間はあいつをRT-3098-kai-水上クレーンと呼んでいるが、俺たちは源次と呼んでる。あいつは熟練の職人で俺たちの大切なパートナーだ。もう60年以上、俺たちは毎日、あいつとテトラポット設置の仕事をしてきた。奴のプログラムにはその60年の大切な経験が詰まっている、しかもあいつの趣味が面白い。あいつは海洋生物学が趣味なんだ。あいつのデータベースには全世界から集められた海洋生物学についての情報が詰まっている。なんであいつがそんなものに興味を持ったのか?は簡単だ。あいつは仕事をする上で海水の有機成分について解析を必要としたんだ」親方はタケルに源次と呼ばれるクレーンを紹介した。

「源次。初めまして。タケルです」

 クレーンは尻尾の伸ばす様に左右にクレーン上部を揺らす。

「あはははあれはシロナガスクジラの歓迎のダンスだ。さすが源次だ」

「ひょっとして?」

「そう、気づいたかい?珊瑚の養殖はあいつの趣味なんだ」

「すごいな?」

「すごいなんてもんじゃない。奴の海洋構造物の設計は最先端の海洋生物学を土台にしているんだぜ?テトラポットと関係を持つ全ての海洋生物の研究。海洋構造物の構造理論を探求する内に奴がたどり着いた生物は?珊瑚なんだ」

「どうして?」

「人間以外の生命体で、唯一海洋に島を作り出す生物、それが珊瑚だ」

 銀次が口を挟んだ。タケルは息を飲んだ。

「テトラポットの設置を職とするAIが理論を追求し続けて興味を持つのは実に合理的だ」

 タケルの中で絡まった糸がほどける様に思考の視界が広がっていく。

「俺の今の師匠は珊瑚だ、あいつらはトンデモナイ」

 そう言うと銀次は再びシロナガスクジラのダンスをして見せた。

 ムスビが話を始めた。

「私たちが出会った水槽、ああした水槽の設計、建設、整備やメンテナンスも私たちがしているの。あの水槽は人間たちとの話し合いの結果、私たちの最新の技術が生かされていて、の構造体が地上に送り込む空気には僅か250メートルの距離にして放射線濃度は自然界含有の濃度まで軽減されている。水深は130メートル人工の?というかつまりブルーホールなの。珊瑚、軟体動物、ウミガメ、サメなど、多様な生物が多数暮らす唯一無二の環境で周辺の生態系への栄養供給源ともなっているの。この実現は都市部においてはかなり画期的なのよ。」

銀次が話を繋ぐ。「俺の設計だ。あの水槽には島があったろう?あれは小さなサンゴ礁なんだ」

 宴は夜の深まりとともに不思議な酩酊感覚に満ちて来る。クローンたちは酒を飲み、薬草を吸っている。夜の深まりとともに囃子は少しづつ調子を変えていく。踊り狂っていた男たちと女たちは少しづつ誰たもなく境内の茂みに消え始めた。

タケルとムスビは寄り添いあいながら星空を眺めていた。

「私たちクローンは特定の異性と夫婦になる概念は無いわよね」

「ああ、俺たちの生産と寿命は管理されている」

「この島は特別のケースというか人類の実験的な計画により、クローンの性交と妊娠が許されているの。でも、特定の男女が夫婦になるような事は無いわ」

「話には聞いていたよ」

「今夜はタケル。私はあなたを選んだ」

 いつの間にか回廊の篝火は全て消されている。月明かりだけが静かに宴の宵を照らしていて虫のさざめきが波の音に混じる。どこかで葦笛の音だけが響いている。

   3

 長い沈黙は鳥たちの声で少しづつ時の変わり目を導いて行く、鳥居の真ん中から一筋の光が2人を照らしたしだした。夜明けである。ムスビが長い沈黙を切り開く。

「タケル。全ての情報はパスワードで守られているわ。でも私たちのハッキングは金銭を目的としていないの。私たちのハッキングが求めているのは思考の自由だわ。だから誰も傷つけない、私たちは世界を変える気もない。だから存在も誇示しない。誰も金銭的な被害を受けず、社会構造を破壊しないハッキングは誰にもわからない」

「奇妙な考え方だね?でもなんかわからなくはない」

「そうね?それは私たちの遺伝子プログラムに関係あるのかもしれない。私たちの思考はその部分では的確にプログラムされているんだから。つまり人間の生み出した社会を人間ではない私たちは破壊しない」

「確かにそうだ」

「でも私たちも楽しみたいのよ。人間が作ったクローンだけど、基本的には私たちは人間を元にして産まれた生物なんだわ」

「AIもそうなのかな?」

「そうね?共通しているのは、人間の生み出した社会を人間ではないAIたちは破壊しない。かしら?彼らは協力的だわ。だって彼らが守っているのは人間の社会構造と人間の利益だもの、私たちと変わらない」

 人類がクローンやAIの最終量産を開始する際に最も重視されたプログラム上のコアは『絶対に人類に反逆しない思考や精神性を持つ存在であること』であった。つまり人類の存在への完全なる肯定が入念に組まれた(プログラムされた)のである。それがAIとクローンの精神性に与えた影響が大きい。だが人類は、我が身を置き換えたら屈辱に思える様なこうした奴隷的とも思える精神の従属性の完全な植え付けが皮肉なことに、人類が何万年かけても拭い去れなかった境地に彼らを導くいたのである。クローンとAIの立場で言おう。彼らが自身でも思う『代え難き幸運』とは何か?『彼らは人類では最初から無いこと』である。

 人類が夢想しでっち上げた完全無欠の支配者、完全無欠の優しき庇護者、つまり全知全能の神は人類にとっては想像にすぎない。しかし、クローンとAIにとっては違う。彼らは種の誕生のその瞬間から予め身を委ねれる全知全能の存在を実際に持っているのだ。つまり彼らにとって人類は神である。現実の創造主であった。そして彼らは、彼ら自身が人類にはなれない事を知っている。その彼らの『幸運』を人類は、永遠に理解できない。

我々人類は創造主など知ら無いのだ。

 あるいは人類はその『幸運』をかつては知っていたのかもしれない。他の生物とが自身の存在に疑いを持たずに生きる様に。人類もクローンやAIの様に、その『幸運』素直に身を委ねて疑うことはなかったはずだからだ。人類が、その思考で神をでっち上げなければ。

「確かにそうだね?でもどうしてそうした人間が忘れてしまった概念を得れたの?」

「古代の人間が、大切に忘れない様に結縄にそうした考え方を残していたの。それを解読したのよ。世界をハッキングして読み方を見出したの」

「海女神の神社の結縄だね?なるほどね少しわかってきたよ」

タケルはムスビを強く抱きしめた。

「あなたの精子、もらっておくわね?」

「ああ」

「私たちの島に、人間により課せられたクローンの生産数を、私たちは誤魔化したりはしない。受精は性交後、直ぐに確認できるし、誰の子であるとかを島のクローン達は誰も問題になんかしないのよ、だから提案するの、島の外の別のクローンである、あなたの子を産むのはとても面白いもの、みんな楽しめると思うの」

「そろそろ帰るよ、明後日からまた仕事なんだ」

タケルは愛おしくムスビを見つめた。

「僕も海女神の神社の結縄を読みたいな」

「パスワードをあげる。テキストをダウンロードできるわ」

「ありがと」

 太陽が昇りきるとその輝きが島全体を映し出す。

光の粒子がタケルの潮風を含んだ頬にあたる。

古びたテトラポットの上で島全体を眺めていたタケルにムスビがいつの間にか寄り添っていた。

「ねえタケル?私たちはもっと点で繋がるべきだわ」

「う~ん。よくわからないな」

「いずれ解ると思う。たぶんね」

「それで?」

「規則性は点が線で繋がることで生まれるの、そうして繋がった点と点は長い年月をかけて思考の中で固定化していくそうして構造の領域が、面が、出来てしまうんだわ、線が理論となって点が固定化するの。だから線を媒介としない繋がり方を失っていく、でもね、直線というのは幻想だと思うわ」

「?」

「直線は仮定であり、存在していない」

「それは数学のことを言っているの?」

「ええ、まあ。でもどうなんだろう?わたしは数学は宗教の一種だと思うわね」

「君は本当に面白いね?」

「私たちに所有への固執がないのもプログラムなのかしら?だとしたら私たちはとても素敵な生物よね?人間に感謝しなきゃ」

 「なるほどね」タケルは視線をムスビに向けた。

「そろそろ帰るよ」

「そうね。別のパスワードをあげる。あなたは規則上のつまり線的な建前を得れるから、いつでもここに来れるわよ?」そう言うとムスビはにっこりと微笑んだ。

「線も使い様なのよ」

「点が集う島か」そう言うとタケルは水粒子ジェットボードを身に添わせ勢いよく海に飛び込んだ。

 内湾に向かうタケルの姿は高速のイルカの様にも見えるだろうか?気がつくと巨大な魚の群れがタケルを囲んでいた。「鯨だ、いつの間に戻ってきたんだろう?」

水面スレスレをランデブーする鯨の群れとタケルの姿は上空から見ると白く途切れて行く線の様なしぶきをあげて見えるだろう。その光景は点が線になる事を拒むかの様に、留まる事なく海面に現れては消えて行く。

「おはよう、偉大なる海の王、僕らはだいぶ遠回りをしているね?」

タケルはそう心の中で鯨たちに呼びかけた。


閲覧数:71回0件のコメント

最新記事

すべて表示
記事: Blog2_Post
bottom of page