ジャッジメント・デイとしてのコロナ蔓延
- Doctor Tab@cho
- 2020年4月20日
- 読了時間: 10分

まず前提としてあるのは、38億年前に地球に誕生した生命は遺伝子という共通の「記憶回路」を持っている。これは分離していても共鳴、干渉しあいながら全体で生命として共存する環境共生を追求している。でも単細胞生物が多細胞生物に変化する時、それらの細胞群を統括する「脳」が生まれ遺伝子の記憶とは別の細胞群を統括するための「記憶回路」を持つようになり「脳」は環境安定期に環境対応型の活動を行いダーウィン型の進化を始めた。
本題に入る前にSF「星を継ぐもの」と最近の「三体」に共通のテーマの極めて短い短編SFを描いたので、まずそこから話を進めたい。テーマは人類の「脳」の「記憶回路」に作用している「氷河期のトラウマ」についてである。
トラウマ
「太陽系の惑星は全て太陽誕生の時の爆発で飛び散った太陽
の破片で出来ている。様々な物質が融解反応を起こし混ざり合ってエネルギーを放っていた太陽の持つ「物質のミックスジュース」は全ての惑星に分かれ、太陽との距離と破片の大きさで冷却の度合いは異なり、冷却段階における様々な物質の反応の違いから「異なる環境の惑星」に育ったのである。」
マスター・ジンは余力を尽くして生徒たちに語る。
「我々が諸君の惑星と極めて近い環境形成を行った答えは、我々と諸君の遺伝子にその記憶がある。我々と諸君は全く異なる惑星に誕生した生命でありながらほぼ同時に同じ形態変化を起こしてきたと言えるのは、少し視点を遠くに俯瞰すれば簡単に理解できることなのだ。諸君のアミノ酸発生起源とと拡散塩基による「記憶」は同期であり。私たちは同時に同じエネルギーの塊から発生し、無機物はほぼ同一と言える環境下で同時に生命を誕生させた。つまり遺伝子の記憶は生命誕生という同一の過去を持っているのだ、生命の起源は太陽系において惑星の起源と同様であると言える」
白色奇形化を起こしていた残存部族の新たな生徒が声をあげる
「創造主、神よ!それは神が唯一あなた様に由来すると言うことで良いのですか!」
マスター・ジンは苦笑いをする
「私は神ではない。私が創った訳ではないのだ。それに1つと言う言い方には語弊がある。」
新しい生徒は声を挟む
「しかし、我々は救済を得ました。我々は厚く覆われた氷河に絶滅寸前のところを唯一の神である貴方様に救われたのです!」
マスター・ジンはその白髪混じりの眉をへの字に曲げて遠くを見つめ、やや憂にに満ちた表情で呟く
「やはり、まだ理解はできぬか。。。話し続けることしか、私には出来んがな?ではもう少し、我々の星の話をしよう、我々の星の人類が諸君惑星の文明形成より少し異なり、こうして諸君より先に惑星間移動を可能にしたのもまた、僅かではあるが太陽との異なる距離による影響なんだ。つまり我々は恐らく諸君よりも過酷な環境下でその環境克服のための文明形成を短期間で行ったのだ。それだけの違いにすぎない。大した違いではないのだ。しかし我々の文明はその環境克服を実現できなかった。それが、こうして今、私がここにいる理由であり、その因果の2面性を象徴している。ここは大事なポイントだ、私の惑星の氷河期は今、諸君が体験している氷河期よりも過酷なものだった。それは太陽からの距離がわずかではあるが諸君の惑星より外側にあった事に起因している」
マスター・ジンは深く咳き込んだ。
「私の余命は長くはない」
人々は声を揃えて懇願し始めた
「主よ!我々を置いていかないで!我々をお救いください!主よ!」
マスター・ジンは水を飲み話を続けた。
「心配するな!諸君はもう十分にこの温暖な氷河期を乗り越える術を得ている。無機物の燃焼によるエネルギーの再構築について、諸君は基礎的な能力を得ているのだ、だがここから語ることは、もっと重要な話しなのだ。」
人々は口々に叫び声を上げ始めた。涙を流し踠く者もいる。「神よ!叡智をこの世界を生き延びるための叡智を!」
*
「船長!あの星が、我が星が見えぬのですか!最後の調停に時間をください!」
外交官ジンは叫んだ。
粒子スクリーンには大爆発を起こす惑星が写し出されていた。磁力兵器と原子力兵器の併用により気候バランスを完全に破壊された惑星は絶妙に保たれていた地殻のバランスを失い内部コアの崩壊を引き起こしたのである。
「我々の文明は!惑星を破壊するためにここまで来たのですか?確かに過酷な氷河期は食料や水の枯渇を導き出し、⒉極化した世界はそれを巡り最後の争いをしました。でも、これでは本末転倒です!」
船長は大爆発を起こす惑星を凝視していた。気象操作と無機エネルギーの乱開発は惑星の太陽系における軌道上のバランスを喪失させ結果的には過酷な氷河期を早めてしまったのだ。彼らの氷河期への恐れが築き上げた文明は、結果的には彼らの恐れを増幅してしまった。そしてそれは行き場の無い怒りとなって同族嫌悪を引き起こしていた。
「もう遅い、今は哲学を語る場合ではない、そうしたことは奴らに言え!全レーザー砲を敵艦に向けろ!奴らを先に第三惑星に到達させてはならん!迎撃態勢に入れ!」
*
通信回線は乱れていたが声ははっきりと聞き取れた。ジンは乱れる粒子スクリーンに浮かびだした女性を愛おしく見つめていた。
「ジン。。私たちの努力は徒労では無いはずだわ。。あの惑星には赤道付近に大勢の人類がいることが確認されているの。私たちと同じ、人類だわ」
極秘回線で訴えかけるナオミは笑顔を浮かべている。
「ああ、生き残ろう。そして伝えねばならん。第三惑星で会おうナオミ、彼らに最も重要なことは何か?を伝えねばならん。我々以上に深い忍耐を持って氷河期を超えた生命が数多く、この太陽系にはいたのだ!生命の叡智は、こんなことでは無いんだ。」
レーザー砲による戦闘を繰り返しながら二つの惑星間航行宇宙船は火だるまになりながら第三惑星の北原に向かって大気圏突入を開始した。ほぼ同時に彼らの母星は最後の内部コアの大爆発を引き起こし、太陽系にその閃光が広がった。
「見よ!龍だ火の龍だ!2匹いるぞ!我々の方に1匹降りてくる!」
矮小奇形化をして生き延びていた北原の「もう1つの部族」の一人がさけんだ。所々破損しながら「火の龍」の1つは彼らの居住地域の側に不時着したのである。
それは第四惑星の人類が初めて惑星間有人飛行を成功させた瞬間でもあった。
(ジェイムズ・P・ホーガン「星を継ぐもの」に捧ぐ)
かつて恐竜の脳が環境安定期に生命遺伝子全体の共生のバランスを逸脱した時、環境安定期の終焉とともに「脳の環境対応」は破綻し種が滅びた。氷河期とは「脳の環境対応力」に危機的な状況を生み出す。人類はこの環境安定期の終焉に必死に対応するため脳を極度に発達させホモ・サピエンスとなった。
ユニークな記事をWebで見つけた。
新型コロナは「敵」ではない。哲学者が説くウイルスとの「共生」
「「友」と「敵」とに分断され、多くの人々が家へと引きこもることを余儀なくされる世界情勢の中、21世紀のエコロジー思想を牽引する哲学者の一人であるティモシー・モートンが、新型コロナウイルスに関するエッセイを執筆する上でテーマに選んだのは、意外にも「共生(symbiosis)」という言葉であった。 「われわれは皆、共生的な存在であり、他の共生的な存在と絡み合っているのです」と述べるモートンは、新型コロナウイルスが拡大する世界について何を考えるのであろうか。(抜粋)
我々の体には100兆個を超える数の微生物(主に細菌)が存在するといわれていて、 人体を構成する細胞の数が約37兆個だから、それより多くの微生物と生活している。彼らは人体と共生関係にあり、通常体に害を及ぼすことはない。しかしそこには「和」への歴史があったはずである。つまり細菌のうち多くはかつて「人類を死滅に追いやるような」外的微生物であったはずだ。我々は出会い「葛藤」はあったが「和」に至ったのである。「氷河期コンプレックス」人類の「脳の記憶」に言いたい。あなたそのものが氷河期において「100兆の生命の方舟であったのだ」と。氷河期のような「非環境対応期」において遺伝子は点在する僅かな適応環境を求めて非ダーウィン型の主体的な環境情報の取得を「遠隔」で行い処理するはずだ。全く接触が無い遠隔地の遺伝子と遺伝子が情報交換を行いオサムシの様な「環境対処進化」の方法を共有する。つまりコロナウイルスの遺伝子は我々の体内微生物から「何らかの情報を得ている」それはある意味体内微生物側の「救難信号」とも言える。このままでは「生存環境が脅かされる事態」を体内微生物は察知し、我々の細胞遺伝子と情報を交換しコロナ遺伝子と遠隔で情報交換を行なっている。彼らが非ダーウィン型の手段に及んだのは地球環境が「非環境対応的な状態」に陥りつつあるのを察知したからだ。約38億年前から積み重ねられた我々、生命の遺伝子は「環境対応期」にはダーウィン的な対応展開を示すが「非環境対応期」には主体的な環境処理の情報へのアクセスを行う。このまるで「意志」があるかのような主体性に人類は「神」と名付けたのかもしれない。
現代では「仕事と消費」はセットになってる。昔はそんなことは無かった。サラリーマンはみんな「お弁当」だったしコンビニは無かったし、自販機も少なかったし、飲み屋は「お気に入りの行きつけ」に行くだけで、居酒屋のチェーンなど無かったし、松屋的なファースト・フードもマックも無かった。ほんの40年前の話である。つまり消費は「労働」という兵士の後方支援であり、兵站として整備されている。今回の「自粛」でそれが良く理解できるはずだ。そしてその兵站と兵士の「理」は逆転していて、兵士は兵站で「消費するため」に労働しお金を「落として」いるのだ。俺も病気するまで実感としてこの「消費の戦場」に気がつかなかった。。つまり消費は「兵站消費」と「純粋消費」に分かれている。昔は「純粋消費」しか存在しなかった。「兵站消費」は構造として「消費させるために兵士に労働させている」のである。兵站消費は「消費の主体性」は剥奪されていて「情報対応的」に我々は無自覚で「消費させられている」有料の「餌箱のエサ」みたいなもんだ。我々はパブロフ反応的に牧場の餌箱のシステムに「対応反応」している羊である。このシステムが労働者から「生活自主力」を剥奪した。「生活自主力」を剥奪された人は年老いて独り身であると障害などで労働を喪失した時「生活自主力」が無い。孤独死する。この兵站消費という「牧場の餌箱」で吸い上げられた金は特定富裕層が所有するわけではない。金は新自由主義という「賭場」で運用される。これが全体の構造で我々はほぼ「全員」が支配者、被支配者「関係なく」この構造、システムのレールの上を「猛進」している。「賭場」には数のルールがある「だけ」でイデアリズム的な共生の考慮が一切なされていない。これが現代の「犭貪(とん)」である。コロナウイルスはこの「犭貪(とん)」に「非環境対応的な状態」に陥りつつあるのを察知し「主体性」を発生させた。「犭貪(とん)」へ抗する主体の発動が「武漢で起きた」のは皮肉である。まさに現代の「奇鳥」江南を舞うである。私たちは生命の遺伝子の「主体の発動」に呼応し「和」を取り戻すべきだと思う。大仰なことでは無い、誰でもできることだ「生活自主力」を回復させ消費を「兵站消費」→「純粋消費」へ自覚的な「意識」を持って転換させれば良いだけだ。
我々の「思考する脳」と「自我」は誰が作ったものでもなく「発生したものだ」生命の遺伝子が総体として「非環境対応的な状態」に陥りつつあるのを察知し「主体性」を発生させることに、なんら「違和感」は無い。それを「神」と呼ぶならば人の「意志」が発生したように、神はある時「意志を持ち、発生する」森が「深淵にして神聖」に見えるのは数多の生命の遺伝子が「呼応」して1つの共生の主体意志を創出させているからだ。
ジャッジメント・デイとして、コロナ蔓延を謙虚に受け止め共生の道を見出す必要がある。消費を「兵站消費」→「純粋消費」へ自覚的な「意識」を持って転換させる。これは資本主義の否定では無い。むしろ再興だ。消費を「兵站消費」→「純粋消費」へ自覚的な「意識」を持って転換させる。これはテクノロジーの否定では無い。むしろテクノロジーはパラダイムシフト的なメジャー・チェンジを「加速させる」私たちは今「極めて重要」な文明の起点にいる。
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