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  • 執筆者の写真Doctor Tab@cho

サウンドシステムとラジカセ

更新日:2020年7月9日

イタリア人とエチオピアンがいがみあってますねえ。ラジカセが「象徴的に」使われています。スパイクリーは面白い。。




日本のラジカセ凄いんです あんなボデイに全ての音響機材ぶっ込んであんなに「でかいユニット」まで搭載し「とんでもない音が」電池で鳴るんです。持ち運びできるんです!魔法の箱ですよ。

70〜80年代の日本の電気製品は「脅威的」です

しかも間接金融でガンガン世界中に輸出されるのに安価だった。

世界中の子供たちが 魔法の箱を「手にできた」





サウンド・システムの原点はこの米国2社の映画用PA音響設備にあります。それの中古ユニットをジャマイカ人がボックスから取り外して自前のスピーカーボックスに入れて組み直し野外でレコードを鳴らし始めた。これがサウンドシステムの起源です。


JBLの映画用3way Sound system、元はと言えば、ここからジャマイカの野外ダンスのサウンドシステムが応用された。とう言うのは、50年代に映画の興行が始まった時、ジャマイカには映画館にできる大きな会場が無くいわゆる「青空映画館」が日没後開かれたが、その映画の前後で流行のアメリカン・ポップスをレコードでかけていたのだ。映画用の音響の「特異性」にレコード文化がジャマイカでミックスされた。



映画用の音響の「特異性」とは音楽再生に主眼が置かれておらず、当時はモノラルの「擬音」効果音のダイナミズムを再現しようとするものであった。ジャマイカ音楽はこの「特異性」の強い映画用のサウンドシステムでの再生を前提とするある種「異常」な音響発展を遂げた。いわば音楽によりダイナミズムを求めたのである。その音楽に最も影響を与えたのがイタリアのアクション映画いわゆる「マカロニウエスタン」のダイナミズム追求の特殊な「映画用音楽」だったのである。イタリア映画の音楽では「荒野」の臨場感を出すためにそのリズムの刻みに他の音楽ではあり得ないような「谺(こだま)」つまりエコー効果を導入して「「荒野の臨場感」を出していた。のちに、ロック界でこのジャマイカの「気づき」に多大な影響を受けたのがThe WhoとPink Floydだったのである。The WhoとPink Floydはそれまでのバンドと異なり、巨大な映画用のスピーカーシステムを組み上げ物凄い音でムービー・ダイナミズムを追求した。ヘイトアシュベリーのガレージ・ブルースバンドだったグレイトフルデッドのジェリーガルシアはピンク・フロイドの演奏に根底から音楽への取り組み方を変えさせられたと言う。当時、人気も勢いも優っていると自負していたサンフランシスコのバンド群はグラストンベリーに乗り込んで英国のバンドの「音の出し方」の凄まじさに圧倒されてしまった。日本であれば、YMOはハッピーエンドとサディスティックミカバンドの延長上に存在し、ハッピーエンドとサディスティックミカバンドは「永遠に借り物の域を出ることはない」と言うか完全な「敗北」を欧米音楽の音響に喫したバンドである。そこに松武秀樹が最新のMOOGのフルセットを自費で購入し現れた。当時のMOOGをステージい置いてピンク・フロイドのステージに匹敵する「ダイナミズム」にまで引き上げることは「不可能」と言われていた。そこで日本の当時全盛だった音響機器メーカーの精鋭が集結した。「これはオーディオのダカルタ・ラリーだ!ここで、世界を圧倒させなければ日本の音響家電の名を示すことはでいない!」YMOのワールド・ツアー・プロジェクトが始動したのである。坂本龍一はシンセ音楽構築にあたり、徹底的にジャマイカのサウンドシステムで使われる音楽の構造を研究した。「ピンク・フロイドにMOOGで打ち勝つには奴らの原点をシンセサイザーに応用すべきだ」そう考えたからだと思う。坂本龍一はとても「音響工学的」な理系的視点であの時取り組んでいた。




ジャマイカのエンジニア、キング・タビーが始めたサウンドシステムは一風変わっていました。タビーは「モノラルをハイファイにできないか?」という探求を日本のラジカセにインスパイアされて考えていたんです。HI-FIって描いてますよねえ。この1本のバックロードが全ての始まりです。タビーは低音をロードホーンで強調しミッドロウはユニットに任せ上にラジカセ見たいなハイレンジのスピーカーを乗せることで巨大な映画用スピーカーで「ラジカセ」をやろうとした。



中古のJBLやelectro voiceが 付けてあります。



英国でキング・タビーに憧れ影響されJah Tubbys Sound Systemが立ち上げられ、この巨大スピーカーを日本のラジカセに変えてしまう実験が継承されたんです。



英国のラドブローク・グローブの中古電気街(昔の秋葉原みたいな感じです)でたくさんのぶっ壊れた日本製のラジカセやコンポが売っていました。それをJTSの面々は買いまくって解体し「中がどうなってるのか?」研究し尽くしました。そうして「この脅威のプリアンプ」が生み出されたんです。







今と違い日本の電機メーカーは「低音のレンジ」にこだわり競っていた。それがHiphopの「気づき」を黒人にもたらしたと言っても過言ではない。


昔のでかいラジカセでクラフトワークを聴いたことありますか?全く「違う音楽」になります。魔法の箱を囲む黒人の子供たちは「その低音のなり」に魅せられて世界のあらゆる音楽をラジカセで鳴らしてみた。クラフトワークのカセットが流れた瞬間「やべえ!なんだこれ!宇宙船みたいだ!すげえ!」



短形波の電子音の低音の鳴り方は とんでもないんです。



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